『にっぽんの芸能』
この番組が好きで、特に取り上げられるのが
歌舞伎・能 狂言・文楽 の時には必ず録画して観るのを楽しみにしています。
昨日の『にっぽんの芸能』
シリーズで放送している、坂東玉三郎さんが女形としての役の心を語る
【伝心】という企画の第五回目でした。
この企画が始まった時、なんとなくですが
年齢を重ねて、そろそろ体力的に(玉三郎さんが求める)
ご自身が納得できるレベルでお役を演じることが難しくなってきた今、
映像に残してこれから歌舞伎の女形を背負ってゆく後輩のために
伝えておきたいことを惜しみなく話し、見せておきたい、という
気持ちからお始めになったシリーズなのだろう、と思っていました。
私の世代はまさに「孝玉コンビ」の全盛期で
リアルタイムでこのお二人の舞台を見ることが出来る、その
幸運をとても嬉しく思っていました。
当時の歌舞伎役者としては、お背が高く、美しい顔の片岡孝雄さん(今の仁左衛門さんです)と、男とも女ともつかないたおやかさを体現する玉三郎さんに
私はいつもぽーっとなっていました。
悪役を演じる時の孝夫さんの、凄みを感じるほどの色っぽさ
添う玉三郎さんの美しさ
(あぁ、同じ時代に生きていてよかった)と思わせてくださるお二人でした。
玉三郎さんは幼少の頃に小児麻痺を患われ
そのせいで主に足に後遺症が残り、リハビリのために踊りを習うようになった、と後に知りました。
料亭のお子さんとして生まれ、リハビリで始めた舞踊で
一方ならぬ才能をみせ、師匠である守田勘弥さんの芸養子となってからは
生活そのものが稽古、と言う日々を過ごされたそうです。
若くて美しい玉三郎さんは絶世の人気を誇っていましたが
当時、歌舞伎界で女形の頂点にいた歌右衛門さんに苛め抜かれたというのは有名な話です。
歌舞伎の家の生まれではない人がここまでになる、その道はどんなにか
辛く苦しい物だったでしょう。
まだ大学生だった私には歌舞伎のチケットはとても手を出せる金額ではありませんでしたけれど、泉鏡花の『夜叉ヶ池』(玉三郎さんが主役を演じた)を見るために映画館に何度も足を運びました。
ある時、当時付き合っていた今の夫に
いかに玉三郎さんが素敵かを熱く語ったことがありました。
夫はもちろん私が玉三郎さんをすごく好きなことを知っていました。
夢中で玉三郎さんの話をする私に、
「あの人はあれでしか生きられない人やから」
そう夫が言いました。
その言葉を聞いた時、
(あぁ、この人はそんなことを思うんだ)とかなりインパクトを感じ、
今でも、夫がそう言った時に二人で歩いていた場所や
その時の夫の横顔まで鮮明に記憶に残っています。
「あれでしか生きられない」
その言葉には色々な意味があったんだろうと思います。
けれど、二十歳そこそこで、そう言う夫(何度も書きますが、当時は彼でした)が
なんだか自分よりずっと大人に感じられたことも覚えています。
初めて玉三郎さんの『鷺娘』を観たのはいつだったか。
愛らしい若い娘の衣装から白い鷺の衣装に変わってからの
舞踊は、胃のあたりがズーンとするような
言いようのない感情がこみあげて、まるで本当に鷺が羽ばたき
もがき苦しんでいるようで、玉三郎さんに引っ張られて
この世ではないどこかへ連れていかれたような、とても不思議な感覚に襲われました。
あれを、感動、と言う言葉では表せられない、どんな言葉も違う、
何か神がかりなものを見てしまった、そんな感覚でした。
昨夜の【伝心】でも
舞台で鷺娘を演じる映像が流れ
その舞台映像を、玉三郎さんの語りでつないでいく、という構成になっていました。
スタジオにセットされた椅子に掛けて解説をする玉三郎さんの姿勢の美しいこと。
紬の着物に馬乗り袴をお召でした。
男の大きな手で、どういう風に『女』を見せるか
そのお話の中での手の動き、振りを見せながらの解説です。
元々の骨格も華奢な方なのでしょうけれど
きっと女形としての姿を作るために
肩甲骨を後ろで引き寄せ、肩を落として小さく見せる、やわらかな体に見せる、
そんな努力の積み重ねで、この体形が出来ているのかもしれません。
もう出てこないかもしれません。
好きなこと、好きなものには夢中になってしまう私
だからこそ、ここではそういう話題はあまり書かずにいるほうが
いいような気がして(熱く語ってしまうから)
避けてきました。
今夜はちょっと(昨夜の録画を見たばかりなので)番外、と言う事で
ご容赦を。
今年の6月に京都・大阪でまた上映されます。
何度目かのこの映画、ぜひまた観に行くつもりです。