あっという間に今年もあと二日になりました。
あれもこれもと、やらなきゃいけない事を考えるときりがないのですが
もう数年前から、年末は出来ることしかしない、と決めています。
夫は家事の助っ人としては全く当てにできない人です。
10年ほど前まで私も仕事をしていたのですが
毎年、年末になると、一人キリキリと掃除や買い物に料理、と駒鼠のように動いていると
どうしたって、何もせずだらだらしている夫に腹が立って
イライラし、ついきつい口調で嫌味を言ってみたくなったりするので
ある年から気持ちを変えました。
しなきゃいけない、と自分で決めて
自分でがんじがらめになってイライラして
八つ当たりして家の中の雰囲気が悪くなるのなら
しなくてもいい、と。
それ以来、できることだけしますよ、というスタンスです。
専業主婦になった今、何も寒い年末に大掃除しなくても
水が気持ちいい夏に、家中のガラス窓やカーテンを洗って
台所の掃除も、日々少しづつ目についたところをやっていれば
そんなに汚れるもんじゃないし。
私がまだ子供だった頃の日本の家庭の年末は
今とは全く違っていました。
12月29日あたりになると
どこの家でも一家総出で、玄関の引き戸をたわしでこすったり、
自転車を磨いたり、障子を張り替えたり、
寒い中、窓を開け放って、大人に混じって子供も結構な戦力になっていたように思います。
子供の頃、私の大掃除の受け持ちは玄関の三和土を水につけたたわしで磨き上げ
からぶきをすることと、
冷蔵庫を磨くこと、それに、食卓の机と椅子を磨くことでした。
一夜飾りは縁起が悪い、と言って
30日にはしめ縄を門と玄関に飾り、
めがねと呼んでいた小ぶりの簡易なしめ縄を
ミシンや自転車に結んで飾り、床の間には御鏡餅、
台所や、居間の棚にも小ぶりの御鏡餅を置いて、
両親が窓を磨いたり照明器具を拭いて蛍光灯を取り替えたりしている間に
私は柳の枝に紅白の餅を飾る『餅花』という縁起物の飾りを作ります。
これが終わると町内の本屋さんへ、お正月の間に読む本を買いに行くことが許されます。
元旦
下着も洋服も真新しいものを身に着け、
明けましておめでとうございます、と挨拶をしておせちを食べ、
神社に初もうでに出かけ、
頂いた年賀状を家族で見せあったりして
2日には親族が集まって、大人は宴会、
子供はトランプや花札・ゲームをして遊んぶのが恒例で、
あとはもう、だらだらと過ごしました。
昭和40年代、三が日はどこもお店は閉まっていて
テレビも同じようなお笑い番組ばかり。
年末の大掃除と大晦日のおせち作りのあの忙しさは何だったんだろう、と思うほど
静かで退屈で、家族でこたつに入って
みかんを食べたりお餅を焼いて食べたりしながら
ひたすら退屈に耐えるという時間の過ごし方をしたものです。
けれど今のように、昨日の続きのような元旦ではなく
何か空気が凛として清浄な、新しい年が来たんだ、という感じを
子供ながらに感じるお正月でした。
あの頃の年末年始を懐かしむのは年を取った証拠でしょうか。