今日、所用があって自転車で北野天満宮から南へ、
天神通を下がっていました。
天神通は北野天満宮の参道、御前通(おんまえとおり)の一つ西の道で
どちらの道も北野さんへのお詣りをする人が通った道ということなんでしょうね。
天神通も御前通も、北野さん詣での道なので上は今出川通りの北野天満宮まで。
下は、御前通は京都駅を下ってまだ南まで続いていますけれど
天神通はたしか蛸薬師あたりで終わっていたような。
(あくまで私のうろ覚えです)
さて、その天神通、今出川から丸太町へ向けて自転車で走っていると
もう丸太町がその先に見えている、といった場所で
すごく立派な茅葺の門がある家を見つけてびっくりして自転車を思わず停めてしまいました。
こんなお宅です。
京都の町中にこんな立派な茅葺門があるお宅がまだあるなんてびっくりです。
家の前に札が立っていました。
奥渓家(おくたにけ)住宅。
お医者様の家だったそうで今でもちゃんと住宅として人が住まわれているようです。
奥渓家住宅については↓こちら(区の史蹟案内のページです)
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012903.html
ネットの京都の町のガイドブックに載っていた説明がわかりやすいの転載してみます。
(問題があれば削除いたします)
「奥溪家住宅」の主屋と長屋門の2棟が「京都市指定有形文化財」に登録されています。
奥溪家は安土桃山時代のキリシタン大名で有名な「大友宗麟」の孫である「奥渓以三中庵」の家系だそうです。「奥渓以三中庵」は医者の「曲直瀬道三(まなせどうざん)」に師事したとのことで、子孫の方は現在でも「奥渓以三薬房」という漢方薬店を営んでいらっしゃいます。(奥溪家住宅の南側です。)
「奥溪家」は元和6年(1620年)後水尾天皇の中宮、徳川二代将軍徳川秀忠の女(むすめ)である東福門院の御典医となりました。東福門院崩御の後は別荘であった当屋敷に移り住み、仁和寺宮門跡の侍医も八代まで務めたという医家です。
あまりに立派なお宅、立派な長屋門で端から端までが長い……
入り口をスマホで上手に撮ることができなかったので
この辺りは古くからのお寺が点在していたり
ひっそり佇んでいるので目立ちにくいのですが
菅原道真公の乳母の多治比文子の文子天満宮舊址もある、風情のある通りです。
ぶらぶらと歩いたり、今日のように自転車で細い道を走っていると
(細い道を走るのは信号がほとんどなくてすいすい走れるからですけれど・汗)
こんな風な発見があってとても楽しいです。
これから少しずつ涼しくなって出かけることが苦にならなくなってくる季節、
コロナに気を付けながら、人の少ない場所を選んで散歩してみようと思います。