明日、6月30日は一年の半分が終わる日です。
この日、各地の神社の境内では大きな茅の輪が設えられ
人々は半年間の穢れを祓い、残り半年の健康や家内安全を願って
茅の輪をくぐります。
茅の輪をくぐる時には
「みな月のなごしのはらえする人はちとせのいのちのぶといふなり」
と唱えながら
↑まず茅の輪の正面でお辞儀をし、左足で茅の輪をまたぎ左回りに一回転、
正面に戻ってまたお辞儀、今度は右足でまたいで右回りに輪をくぐり
正面に戻ったらもう一度お辞儀をして
また左足で輪をくぐり左回転して正面に戻りお辞儀をして
再び左足で茅の輪をまたぎ、正面にある本殿にお詣りする、
これが茅の輪くぐり、夏越の祓いのお詣りの仕方です。
所用の途中で建勲神社に立ち寄りました
ここは織田信長公をお祭りしている神社です。
船岡山という山の上に本殿がありますが
船岡山は8月16日の五山の送り火の時に市内でも唯一、四つの山の送り火が見える場所として大勢の人が集まります。
(嵯峨の鳥居形だけはこの山からは見えません)
その建勲神社の境内にしつらえられた茅の輪
そもそもなぜ茅の輪をくぐることで半年の厄や穢れを祓うことが出来るのか。
茅の輪は茅萱(チガヤ)という植物で作ります。
イネ科の植物の茅萱はかつては屋根を葺くときに使われたり、
菖蒲の節句に頂く、チマキを作るときに使われたりしました。
今ではチマキはそのほとんどが笹の葉で包まれていますが
包んだ笹を結び留める紐として茅が使われていますし、
祇園祭に各山鉾町で配られるお守りの粽はこの茅萱で作られています。
その昔、みすぼらしい身なりをした老人が巨旦将来(こたんしょうらい)という裕福な家に一夜の宿を求めましたがすげなく断られました。
老人はその次に巨旦将来の兄で、貧しい暮らしをしている蘇民将来(そみんしょうらい)の家を訪ね、同じように一夜の宿を乞いました。
蘇民将来は貧しい中、その老人を精いっぱいもてなしました。
すると、その老人は
「われは素戔嗚尊(スサノオノミコト・または中国の故事と習合して牛頭大王ともされています)である。
今夜の行いの礼に蘇民将来の子々孫々の身には今後一切の災厄がかからないようにしよう。
巨旦将来の家には未来諡号祟りがあるであろう」
と言いました。
それを聞いて驚いた蘇民将来は
「巨旦将来の妻は我が娘です。 どうか娘には災いが及ばないようにしてください」と願いました。
すると素戔嗚尊が
「では、お前の娘の指に茅萱を巻いておくように。それを目印にその者には祟らないようにしよう」
と言ったそうです。
そんな故事にちなんで 茅萱は穢れを祓ってくれる植物、と言う事になったようです。
ちなみに、素戔嗚尊を御祭神に頂く八坂神社のお祭り、
祇園祭で配られる粽には
「庶民将来の子孫のもの也」という紙が添えられていますが
これも、上の故事にちなんで
「私たちは蘇民将来の子孫ですから災厄を与えないで下さい」
という意味があります。
今年もあっという間に半年が過ぎてしまいました。
明日はこの半年の罪穢れを祓って7月からの半年が無事に過ごせるように祈ると致しましょう。
ちなみに、
最近、茅の輪くぐりをした後に輪から茅萱を引き抜いて持ち帰る方が増えていますが
その茅萱には祓っていただいた厄がこもっているので
けして茅萱を抜いて持ち帰るようなことをしてはいけません。
せっかく祓っていただいた災厄をまた家に連れて帰ってしまうことになりますからね(^^;)