こと子の日々の暮らし方

夫婦と猫3匹との平凡な暮らしを日記代わりに綴っています

新幹線に飛び乗って

2月4日、立春の金曜日。

お茶の奥の稽古から帰り、着物を脱いで急いで夕食の準備を終え

さぁ頂きましょう、と席に座った途端の、母が入居している施設からのスマホへの着信。

 

この日の昼間、「お母様が嘔吐、40℃の熱があります」と、割と普通な様子で電話をくれた施設の男性看護師さんの声で

「これから救急車で〇〇病院へお母様を運びます」と切羽詰まった話しぶり。

はっきりは言わないのですがどうも危篤状態のような雰囲気で

「意識レベルがかなり下がって揺さぶっても反応がありません」というのです。

 

お昼に電話をもらってから、気にはなりながらも時間に追われて施設に連絡を取ってなかった私が悪いのですが、それにしても、嘔吐・発熱の連絡から6時間近くたっていました。

その間、施設での対応はどうなっていたのか、そんなことを考えながら

とりあえず母がパーキンソン病の治療で毎月通っている〇〇病院(私の地元ではかなり大きな部類に入る総合病院です)へ向かうべく慌てて支度をしました。

 

タクシーに乗り、京都駅八条口(新幹線乗り場のある駅の改札口です)へ向かっていると再び施設から着信、

「昼間、訪問診療のドクターがコロナの抗原検査をしてマイナスを確認しているけれど、〇〇病院から連絡で○○病院でもう一度抗原検査をしてもしプラスが出たら○○では受けられないから他の病院へ転送することになるといわれています」とのこと。

 

とにかくそちらに向かってもう家を出ているからどこの病院が受けてくれることになったか決まり次第連絡をしてほしい、と返事をしました。

 

タクシーが京都駅について、運よく実家方面への「のぞみ」が12分後にあることがわかり少しホッとして切符を買っていると今度は○○病院から着信。

 

夜間救急外来の担当のドクターらしき男性からで

「施設の訪問診療の先生がやった抗原検査には限界があって、○○病院へ付き次第、もう少し精度の高い抗原検査をします、それでもしプラスが出たら……」と施設の看護師さんから聞いた説明と同じ話をされました。

 

承知している、と返事をし、

「何時にこちらに着けますか?」とのその医師の問いかけに

(あぁ、これは本当にただ事ではない)とスマホを持つ手が震え始めました。

手にした新幹線の切符には、発車時間と到着時間が印字してあるはず、そう思って切符を見るのですが手が震えて到着時間の字が見えません。

 

震えていると改札近くにいた駅員さんが近づいてこられ

「どうされましたか?」と声を掛けてくださったので

「この切符の列車、何時にあちら(目的地の駅)に到着しますか?」と尋ね、

駅員さんが「8時5〇分着ですよ」と言ってくださっている声が電話の向こうのドクターに聞こえたようでした。

「うちの病院でお引き受けできる結果が出たらすぐにお電話をしますからね、必ず電話にすぐに出られるようにしておいてください」

そう言われ、とにかくホームへ。

ほどなく到着した新幹線、列車番号を何度も確認し乗り込みました。

私の実家、姫路にはすべての新幹線が停車するわけではなく、以前、うっかり間違った新幹線に乗り込んで、姫路を通過して岡山まで行ってしまい引き返したことがありました。

 

落ち着かない気持ちでいるとまた〇〇病院から着信。

「時間外なのでPCR検査はできないけれど抗原検査でマイナスだったので当院でお引き受けできます。駅に着いたらすぐにタクシーに乗ってください」

 

もうこれは本当にただ事ではない。

なんでこんなに急にこんなことになったんだろう、

そんな考えても仕方のないことばかりが思い浮かんでいました。

新幹線のアナウンスが「まもなく姫路~」と告げ、減速し始めた頃、また病院から着信。

「ERで出来る検査がすべて終わったのでこれからお母様をICUに移します」との連絡。

 

「わかりました、今、姫路駅のホームに列車が入っているところです」と言いますと

「じゃあ病院に到着するまであと10分ほどですね、それまでERで待っているので一目お会いになってください、病棟に上がってしまうともう会っていただくことができなくなります」

コロナで病院は病棟への立ち入りはたとえ家族でも許可されません。

でも、一目会わせてあげる、ってことはやはり母はもうだめなんだわ、と覚悟しました。

 

タクシーに飛び乗って病院の夜間入口へ付くと警備員の方が待っていてくださって

「○○さんですか? どうぞこちらへ」と初めて入る病院のERに案内してくださいました。

この病院には母のパーキンソン病が発症して以来、10数年、ずっとお世話になってきています。

ER室内のベッドに、紙のように顔色が真っ白になった母が横たわっていました。

「お母さん、おかあさん‼」と大きな声で呼びかけると

指が何かを探すようにゆらゆらと動いたので母の手を握り

「おかあさん‼わたしよ‼ わかる?」ともう一度呼びかけると目を閉じたままの母が

こくん、こくん、と二度、うなずきました。

 

傍にいた看護師さんが「娘さんがわかったのね」と言い、

「娘さん来てくれてよかったね、これから病棟へ向かいますよ」と母に話しかけながら

他のお医者様や看護師さんと一緒に母をICUに移動していきました。

 

その後、ドクターが画像や検査の数値を見せながら説明をしてくれました。

 

詳しい検査は明日にならないとできないけれど、おそらく重度の感染症

腎臓が炎症を起こして血液を介して全身に菌が回ってしまっている状態、

熱が40度を超えているし、血圧は上が50を切っている、

抗生物質の点滴をしているけれど高齢の上に今は身体が弱っているので多量の点滴がをすると今度は抗生物質で内臓がやられてしまう。

お母さんの体力が勝つか、菌の力がそれを上回ってしまうか、

何とも言えないけれど経過を見ながら抗生物質と水分補給の点滴を続ける、とのことでした。

 

その後、ICUの看護師さんが降りてこられ、手続きの説明やら母の普段の状況の聞き取りがありました。

「今夜は手元にスマホを置いて休んでくださいね、明日、事務的な手続きにお越しください」とのことで いったん病院を出、無人の実家へ戻りました。

 

「何かあれば連絡するけれど、連絡が無ければ午後2時か3時頃に手続きに来てください、早い時間に来られても窓口や混んでいてお待たせしてしまうし、お疲れになるから」と親切に言ってもらったのですが、何もすることがなく実家で過ごす午前中はやたら時間が長くてスマホの画面ばかり見ていました。

 

午後2時、病院の入院事務窓口へ行き手続きを済ませると

「これを胸にかけてエレベーターで2階へ行ってください」と言われました。

 

(えっ⁉ 病棟へは一般人入れないはず、しかも2階って、ICUと手術室……)

 

2階でエレベーターを降り、廊下のインターフォンを押すと看護師さんが出てこられ

中へ案内されました。

ICUの手前にある部屋にドクター(昨夜とは違うドクターです)と看護師さん。

椅子に座るとドクターが

「お母さんはかなり気の強い方ですか?」と。

???

「はい、かなり気が強いです」とお返事し、「あの、今は母、どんな様子なんでしょうか?」

と尋ねると

「大丈夫、熱も7℃台に下がったし、血圧も上がってきていますよ、 それより……

 お元気すぎて困っているんです」

???

「あの、それはどういう?」

「お母さん、意識レベルが回復してお話になれるようになってから最初におっしゃったのは『治療を拒否します‼』でした。 娘さんも心配して夕べ京都から飛んでこられたんですよ、娘さん、なんとかお母さんを助けてください、って言われていますよ、と言ったら『あの子がそんなこと言うわけない‼ あの子は私が死ぬのを待っています‼』と仰っています。 点滴を拒否され、治療は受けない、と言われて困ってまして、それで娘さんに説得していただきたくて上がって来てもらいました」と言われるのです。

 

もう、びっくり。。。。。。

 

昨夜あんなにびっくりしてあたふた飛んできて昨夜もスマホが気になって眠れず、

それなのにいったいこれってどういうことなんだろう。

 

と、タブレットが運ばれてきて画面の中には妙にきりっとした顔つきの母がいました。

 

「お母さん、気が付いて良かったね、ずいぶん心配したのよ」

と話しかけると

 

ここはどこなの?私はどうしてこんなところで寝かされてるの?何もわからないのよ、

 

昨日からの事情を説明すると

 

そんなこと何も覚えていないわ、私、具合が悪いの?

 

死にかけてたのよ、それを治してもらったの、だからもっと元気になるまでここで治療してもらいましょうね、ちゃんと先生の言うことを聞いて治していただいてね、

 

というと納得したようで

 

わかりました、先生の言う通りにします。

 

ですって…… はぁ~

 

そのやり取りを聞いていたICUのドクターが

「さっきはね、こーーーん顔して(両手で目を吊り上げる仕草をしながら)

 治療は拒否します‼ ってにらみつけられたんですよ」と苦笑いされていました。

 

その後、少し母の今後の治療方針の説明があり、何かあればまた電話をするけれど

この様子だと今のところは順調に行っている、けれども高齢なのでいつ何があってもおかしくはないことだけは気に留めておいてください、といわれ

もう姫路にいてもできることはないもないので京都に戻ることにしました。

 

家に帰ると、何もかもほったらかしにして出かけたので、当然ながら台所は出た時のまま。

猫たちの夕食を作りながら、「今夜はこれだけしかないわよ」と京都駅のデパートで買ってきた高級料亭のお弁当をテーブルに出し夫に食べるように促しました。

 

遅い夕食の心配したことがアホらしくてヤケクソで買ってきた高級弁当を食べながら、母の様子を夫に話すと

「あの子がそんなこと(母を治してください)いうわけない、あの子は私が死ぬのを待っています」のくだりで吹き出し、その後も何度か思い出し笑いしていました。

 

「いかにも君のお母さんらしいやん」ですって。

ほんとにそうなんだけど、私としては母の相手は本当に疲れます、とほほ。

 

長くてわかりにくい記事を読んでくださった方、ありがとうございます。

そんなわけで一応無事に実家の母は生還いたしました。

 

それにしても今回のことで対応してくださった病院関係者の方々には感謝しかありません。

皆さん、どなたもとても親切で優しくて、本当にありがたいことです。

 

最後に甘いものの画像でも。

 

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蓬が島 蓬莱山 ともいうおめでたいお菓子です。

 

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