こと子の日々の暮らし方

夫婦と猫3匹との平凡な暮らしを日記代わりに綴っています

曾祖母の話

気持ちの整理をつけたくて先日は私の母の話を聞いていただきました。

hibinokurasikata.hatenablog.com

今日は母方の曾祖母の話をしたいと思います。

(文中はすべて仮名です)

 

祖母や母から聞いて知っている世代は私の曾祖母の時代から。

それ以前の話は具体的に聞いたことがありません。

ただし曾祖母の話に絡んで出て来る曾祖母の親の話(つまりは私にとっての高祖父母)のことは少し聞いたことがあるのですが高祖父母の具体的な背景は聞かされていません。

 

以前にも書きましたけれど私の実家は私が知る限りにおいて曾祖母・祖母・母と三代続いて婿養子を迎えて家を繋いできています。

 

実家(屋号を中屋と言いました)は私が子供の頃は海運業を生業にしていました。(ただし父は公務員で家の商売には経理以外はかかわっていませんでした)

時代の波で運輸の中心が海から陸に変わった昭和50年代には商売をたたんでいます。

 

海運業はどうやら高祖父母の時代にはすでに家業としていたようで

明治の時代のことですからそれほど大きなことはやっていなかったようですが

大阪にやってくる北前船が北へ帰る往路に積み込む姫路の産物を大阪まで運び

大阪から姫路への帰りには北前船が大阪で下ろした海産物などを仕入れて姫路の商店などに卸すといったような商売をしていたそうです。

 

曾祖母のタカは年の離れた妹、寿子と二人姉妹。

タカは評判の美人だったそうで、家業の取引先である大阪・船場の問屋(北前船が運んでくる昆布などの乾物などを扱っていたそうです)から「是非に」と乞われてまだ10代でその大店の跡取りのところへ嫁に行きました。

タカが船場へ嫁に行って十年ほど過ぎて妹の寿子が婿(利一)を取り家を継ぎました。

寿子と利一の間には女の子が二人できたのですが二人目の子を産んだ後、産後の肥立ちが悪くて寿子は亡くなります。

中屋は跡取り娘の寿子を若くて失い、後には婿の利一と、2歳と乳飲み子の二人の女の子が残されました。

私の高祖父母はタカの嫁入り先の船場と話し合いタカを家に戻すことにしました。

明治時代のことなので家同士の話さえつけば個人の気持ちは蚊帳の外にされていました。

船場の店にはタカの産んだ子供2人を跡取りとして残し、タカはおとこし、おなごしをそれぞれ一人ずつ付けてもらって家に戻り妹の婿だった利一と結婚し、

寿子の忘れ形見の女の子二人にとっては血のつながった実の伯母であり義母となりました。

 

私の祖母(名前がないとわかりにくいですね、秀子です)の話によると利一は自分よりも年上で、家の都合とはいえ出戻らされたタカと再婚することは嫌がるどころか幸せと思っていたそうです。

それほどにタカは美しい人だった、と私の祖母の秀子は自分の母のことをそんな風に言っていました。

 

やがてタカは利一との間に女の子を産みました。

その子が私の祖母の秀子です。

寿子の忘れ形見の女児二人にとっては腹違いの姉妹であり従妹という関係です。

秀子が物心つき始める頃に、後々家がもめることになりはしないかと考えた高祖父母は

寿子の忘れ形見の女児二人を行儀見習いという形で縁続きの家にやってしまいました。

 

中屋には私の高祖父母にあたる人と曾祖母のタカ、曾祖父の利一、祖母の秀子の五人家族になり、秀子は成人して婿養子(秀治)を迎えて私の母(与津子)・上の叔母(冴子)・下の叔母(尚子)を産みました。

その長女・与津子の産んだ娘が私・こと子ということになります。

 

曾祖母のタカはそれは美しい人だった、ということはタカを知る人から何度も聞かされたことがあるのですが、その美しさから起こった事件を、ある時、祖母の秀子が私に話してくれたことがありました。

 

 

こと子のひいおばあちゃんは本当にきれいな人やった。

でも背中に袈裟懸けに大きな傷跡があって、お風呂に一緒に入るたびに

「お母さん、この傷は何?」と聞いても何も教えてくれなくてね。

大人になって近所の人からその傷の訳を聞かされたんや。

なんでも、家同士の話し合いで納得尽くで夫婦別れして帰ってきたのに

旦那さんの方は未練があったらしくて

ひいおじいちゃんと結婚してしばらくした頃に元の旦那さんがやってきて

お前を殺して俺も死ぬ、と叫んで日本刀でひいおばあちゃんを切りつけて自分も自分の肩口を切って大騒ぎになったんやそうや。

そんな事件のことは知らなかったけど

ひいおばあちゃんとお風呂に入ってその背中の赤い大きな傷跡ときれいな顔を見てると

言葉にはできないようなぞっとするような凄みがあった。

 

祖母はそんな風に自分の母のことを教えてくれたことがありました。

私は曾祖母には会ったことがない(私が生まれる前には曾祖父母は二人とも亡くなっていました)のですが、私の母からもタカおばあちゃんの背中には袈裟懸けに切られた跡があったと言っていたので本当の話なんだと思います。

 

母の一番下の妹(尚子叔母)は背がすらりと高くスマートですごくきれいな人なのですが、私が「尚子叔母ちゃんは本当にきれいやわ」と言うと母は必ず

「こと子は尚子のことを美人美人っていうけど、タカおばあちゃんのほうがもっときれいな人やったよ、おばあちゃん(母にとっては祖母ですから)やったけどこんなきれいな人見たことないというくらいきれいな人やったわ」と言います。

(自分よりも妹が美人美人と褒められるのが悔しくて負け惜しみを言っていたのかもしれませんが)

 

それにしても私が生まれた家には本当に男の子が生まれてきません。

タカ曾祖母は大阪・船場の嫁ぎ先では男の子を産んだということなので

少し不思議な気がします。

昔は井戸の水を生活用水にしていたので井戸水の成分で女ばかり、男ばかり生まれる家があった、と言う話を聞いたことがありますけれど

地下を流れている水脈はあたり一帯同じはずなので

それでは村中、女ばかり生まれるということになりますよね。

なので迷信なんだろうと思いますけれど

 

そんな風に、一度嫁いだ娘を出戻らせてまでして繋いできた家ですが

私が夫と結婚したことで結局実家は絶えることになりました。

そこまでして守るべき家って何だったんでしょうね……

 

 

お口直しに、今日はタイガーをどうぞ。

 

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「怪しいものが入っていないか僕が調べてやってるニャ」

 


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