前回は鬱陶しい話を書かせていただいたにもかかわらず
いつもより多い方に読んでいただいたようでありがとうございます。
62才(あと2か月で63才)になって未だに心の中の澱のような気持ちを吐き出すことができて少し気が楽になったような気がします。
今日も母からは「もうがまんできないはやくむかえにきなさい」と平仮名ばかり改行なしのメールが届きました(-_-;)
入院したばかりの頃には
「携帯電話は煙が出て壊れてしまった」と言っていたのですけれど
どうやら壊れていなかったようです(苦笑)
亡くなった父は年を取ってからも新しいことを吸収することに貪欲で
誕生日にプレゼントした携帯電話を、取説と首っ引きですぐにマスターし
私に毎日メールをしてくれる人だったのですが
母は父に何度も薦められ教えてもらって平仮名羅列のメールを打つことが精一杯ですが
今となれば難聴で電話での会話が難しい母にとってはメールという通信手段を持っていたことが良かったと思います。父の置き土産ですね。
さて、気持ちを変えて。
日曜日はお茶のお稽古に行ってきました。
今月のお稽古枠(宗匠にご指導いただける枠)は使ってしまったので水屋・見学でのお稽古でした。
なので、点前稽古の時には着ることがない紬で出かけました。
淡い紫ベースで遠山に楼閣と草木柄が織り出されています。
手紡ぎ真綿の証紙が付いている結城紬で証紙には経糸緯糸共に手紡ぎ、とあり紡いだ方のお名前が入っています。
これだけ細かい柄を織り出すためにはどれほどの絣括りをされたのだろうと少し気が遠くなるような気がします。
着物は高いというイメージがありますし、実際生産者の手を離れてからの様々なルートを通って消費者の手に渡るまでに上乗せ・上乗せされて上代が恐ろしくなる金額になってしまうということもあるのでしょうけれど
製作過程を勉強すると着物につけられたお値段は「高すぎる」ということもないような気がしてきます。
糸を紡ぎ、糸を括っても色を付け、ほどいて機に掛け経糸と緯糸を織っていく過程はとても根気のいる作業ですし、
やわらかものにしても1反の反物を仕上げて柄を描き、または染めるための作業を考えると人間ってすごいなと思います。
この結城は近いうちに洗い張りに出そうと思っているのですが
他にも洗い張りをお願いしたい着物が数枚あってなかなか一度にはお財布事情が許してくれません。
洗い張り仕立て直しは月に1枚と決めています。
合わせた帯は茶色に近い紫地に金箔が摺られた塩瀬
お茶道具の仕覆に入った茶入とお棗が刺繍されています。
この帯、お太鼓になる柄がやたらと上(帯のタレからすごく遠いところに刺繍されています)についていて結びにくいことこの上なくて出番が少ない帯です。
しかもお茶道具の柄なのでお茶の場面に締めていくにはちょっと憚れます。
(お茶のシーンではお道具を重なるような柄の物を持ち込むのは控えるべきと考えられています、それはお道具の取り合わせを考えてご準備くださった方への気遣いとして、です)
なのですが、(まぁ今日は見学だし、いいか)という安直な姿勢でたまにはこの帯も虫干しを、との気持ちからこの帯を選びました。
帯締めは水色と薄茶色の2色が左右に組み分けられた丸組
丸組の帯締めは結び目が簡単にきれいに出るから好き♡
さて、タイトルの件ですが
何故か私は着物を着ると右の背中、腕寄りに大きくたわみが出てしまうことが多いです。
着物の生地による(かたもののほうがこうなることが多い気がする)のか
それとも仕立て方?(呉服屋さんにお願いしているのでその時によって仕立ててくださっている方は違うかも)
と思っていたのですが、「どうしてだと思います?」とお尋ねしたある方から
「身体の問題じゃない?だれだって身体のどちらかがゆがんでいたりするから」と言われ
その話とほど同時に時々通っている筋膜リリースをお願いしている整体師さんから
「こと子さんは右肩が下がっているからねぇ」と言われて
ハタ!と思ったわけです。
私は身体がゆがんでいて右が下がっている、だから右の方下にこんなに生地がたゆんで余ってしまうんだ、って。
で、「身体がゆがんでいるからたるみが出るんじゃない?」と言ってくれたその人に
「どうしたら」と相談したら
「着物を着る時、長襦袢の下、右肩になにか薄いハンカチを一枚乗せて調整してみたらどう?」と教えていただき
やわらかものを着る時にはそうしているのですが
今日はそもそも(見学だし、ま、お気楽に紬でいいや)と思った瞬間に
右肩の補正も抜けてしまって、着終わって画像を撮って初めて(あっ!補正忘れた)と気が付く始末です(汗)
着物の着姿を記録に残しておくことは私にとってはかなり有効です。