今日は4月最後のお稽古日、
ということは炉のお稽古も今日でお終い、
次のお稽古日には風炉に変わっているわけですね。
お稽古中のこと。
「半年があっという間、来月にはもう風炉ですね、
5月だから烏帽子棚だわ、烏帽子の作り方忘れていないかな」と話していると
それを耳にされた宗匠が
「お棚、変えましょうかね……」とポツリ
くすくすと笑いが洩れました。
今日のタイトルの件。
実は画像をのせるのもつらい!
それほどひどい着付けになってしまいました。
いつも何かしら反省点、改善点はあるにしても今日ほどひどい着付けは
もしかしたら初めてくらいかも。
最初に言い訳させてください。
今日は出かける前に画像を撮ることができなくて
半日お稽古をして帰ってきてから撮ったのでよけい着崩れしてしまっています。
それと、おはしょりを作る際にちょっと新しい試みをして
それが見事に失敗だったのでこういう結果になりました。
ということで
無残……
背中心がずれて背の右側が大きく崩れてしまっています。
おはしょりの処理を失敗したので半日着て動いているうちに
帯から上の下身頃がぶかぶかと浮いてしまいました。
着物は白大島、袷仕立てです。
帯は生成色の紬地に17世紀の印度更紗の写しが描かれたもの。
正絹の紬地ですがしなやかな織地なので締めやすくて気に入りの一本です。
帯揚げは辛子色の綸子 更紗柄の中から一色を取りました。
帯締めは細めの丸組
ブルーに白が組まれていて洒落着物用の帯締めという感じがします。
この上に紗の塵除けを着て出かけました。
この紺色の紗の塵除け、元は祖母の夏着物でした。
祖母は若い頃から背が高くて私と同じ163㎝で明治の女としてはびっくりするほど背の高い女性だったので祖母の着物、身丈はそのままで私も着ることができるのですが
やはり昔着物なので裄が短いのと、紗の生地なので裾が少し傷んでいました。
なので丈を詰めて塵除けに仕立て直してもらったのですが
悉皆屋さんが「ようなりましたわ」と言って持ってきてくれたのを覚えています。
さて、今日こんなにも着崩れてしまった原因ですが
私が考えていたのは
※この白大島は衿の中心が止められていないから
ということでした。
着付ける時から上手くいかなくてかなり手こずったのですが
この着物、なぜか襟の中心にスナップが付いていません。
仕立てあがってきたときは気が付かなかったのですがもしかしたら仕立てる人がつけ忘れたのかもしれません。
で、着付けて出かける時にはすでに
(これはあかんわ、お手入れに出してついでにスナップをつけてもらおう)と考えていました。
お稽古場でお仲間に
「背中心がずれてもう着つけがぐずぐずやねん、はずかしわぁ」と話すと
着物お稽古仲間の彼女が
「長襦袢との相性が悪いん違う?大島の下にやと正絹でも紬の長襦袢とか綿の長襦袢にした方が着崩れないんとちがうかなぁ」と教えてくれました。
彼女の説によるといくら胴裏や八掛が付いているといっても大島は滑りやすい織物なので下に同じ滑りやすい正絹の綸子の長襦袢を着るとお互いにずべりあって崩れてしまうのではないか?ということなのだそうです。
その話を聞いて、なるほど!そっちかも。と思いました。
お手入れに出す前に一度綿の嘘つき襦袢で試してみようと思います。
それにしても、いざ出かける、というその日にいきなり新しい着付けのやり方を試すのはだめでした。
おはしょりの新しい試みはきちんと練習してからにしようと思います。