1月31日 日曜日の『麒麟が来る』
最終回まであと1話の 第43回「闇に光る樹」
今回のお話の中で光秀が夜な夜な見る夢を駒に話して聞かせるというシーンがありました。
深い森の中らしき場所に斧をもって立つ光秀は
その夢の中で月に届くという木を切り倒そうとしています。
このシーンを見た瞬間、
(あぁ、そういうことだったの⁈)と思ったことがありました。
それは毎回流れるオープニング曲のこと。
小節ごとにとても効果的に打楽器(和太鼓か、ティンパニーか、もしくはCPで作っている音なのか)の コーン、コンコーン といった感じの固い音が
とても効果的に使われています。
初めてこの曲を聞いた時から、この音がなければこの曲はこんなに印象的ではなかっただろうな、と心ひそかに思っていました。
光秀が夢の中で信長が登っている月に届き木を斧で切り倒そうとしている、
このエピソードがあっての、あのオープニング曲の音だったの⁈と
瞬間的に思いました。
テーマソングが作られた時、脚本がどの程度進んできたのかわかりませんけれど
月に届く木を切り倒す、というエピソードで信長を打つ、ということを表現する、という打ち合わせはできていたのかもしれません。
全く私の勝手な思い付きですけれど
あのシーンにたどり着くためのオープニング曲であり、タイトルクレジットに流れる森の中に立つ光秀だったのかな、と。
余談ですけれど、そして全くの個人的な感想ですけれど
東庵と駒というキャラクターを作る必要性が私にはわかりません。
帝と東庵、公方となった足利義明と駒が、それぞれ相見まえるなんていくらフィクションの中とは言えあり得ない設定と感じられました。
「麒麟がやってくる」という逸話を物語の中で紹介する方法は駒というキャラクター以外でもできたと思うし架空の人物を作るにしてもあまりに荒唐無稽で
1年を通して見続けてきてそこだけが残念に思えました。
これは全くの個人的な感想で、東庵先生や駒さんのファンの方には申し訳ありません、とお詫びします。
とにもかくにもあと一話。
なんだか来週の日曜日が来るのが楽しみのような、終わってしまうのが残念なような。