前回の記事で触れた、肺がんで入院していた義叔父が亡くなりました。
先々週の土曜日、一度心肺停止状態になり
その時は蘇生したのですが
先週木曜日の未明に息を引き取った、と従妹(義叔父の末娘)から連絡があり
急所、京都に戻り支度を整えてまた実家へトンボ帰りしました。
義叔父(母の下の妹、私にとっての叔母)は男ばかりの5人兄弟の長男で
物静かで穏やかな人でした。
4人いる弟のうち、すぐ下の弟が10年ほど前に癌で亡くなり、
その下の3番目の弟はカソリックの主任司教でしたけれど3年前に帰天していて
今回の義叔父とのお別れでは残された4番目と5番目の弟(といってももう二人とも立派なおじいさんですけれど)が
「とうとう二人になってしまった」とそれは寂しそうでした。
小さい頃は盆正月といえば一緒に過ごした親戚と顔を合わせるのは
こういう機会ばかりになってしまったね、と話をしながら
親族一同で義叔父を見送りました。
私の生まれた家のこと、
母や叔母、義叔父の生まれた家のことや家族のこと
これを機会に一度書き記しておきたいと思うようになりました。
どこの家にもそれぞれにストーリーがあると思いますけれど
これまで祖母や母、叔母たちから聞いた話を整理しておきたい
そんな気持ちを抱えて京都に戻ってきました。