毎年、今時分になると常備するものの一つに
『たんきり飴』があります。
スーパーのキャンディコーナーなどにも様々なのど飴が並んでいますけれど
我が家は『たんきり飴』一辺倒。
大宮通り寺の内通りの角にあるたんきり飴本舗
なんでも、最初は西陣の職人さんのために作られた飴だったそうな。
糸を使っての仕事(京都で《糸偏の仕事》と呼ばれる、着物や帯の製作、またそれにまつわる周辺の仕事を生業)をしている方々は
常に糸くずから出る埃などで喉がいがらっぽく夏ことが多かったそうで
その職人さんたちの喉を守るために作られたんだそうです。
変な混ざり物などをせず、しょうがのエキス?を使った秘伝の製法で作られる
『たんきり飴』
口に入れると生姜の香りとほんのりとした甘さと
けれどさっぱりとした後味で
風邪のひき始めなど、ちょっと喉の調子がおかしいな、と思う時など
この飴をなめると治ってしまいます。
決して広くはない店内には所狭しと飴・飴・飴
中でもやはり一番売れているのはお店の名前にもなっているたんきり飴
うちの夫は商売の半分はしゃべる(週に3コマしか持ってませんけど・汗)ことなので
少し喉がいがらっぽいと
「たんきりさん、またこうてきといて(また買ってきておいて)」
と言います。
たんきり飴には辛口と甘口があって
定番商品は甘口の方だと思うんですけれど私は辛口も大好きで
お店に行くと甘口の大袋を2つほど、辛口の中サイズを1袋買うことが多いです。
このたんきり飴、一時販売されていない時期がありました。
製法を知っているおじいさん(?おじいさんなのか、おじさんなのか)のお具合が悪い時があってたんきり飴を作ることが出来ず、売ることが出来ないという期間があったんです。
焦ったのは我が家だけではなかったと思います。
秘伝の製法、ぜひ後継者をつくって受け継いでください!と切に願っていました。
京都の古くからのお商売をしているお店や職人さん、ってとても不思議な一面があって
どんなに古くから続いている仕事でも
後継者がいない、となるとスパッとやめてしまわれるところがとても多いです。
私のお稽古しているお茶の宗匠のところで
毎年、初釜の干菓子に使われていた『洲浜』も360年続いていたお店を
後継者がいない、という理由で暖簾を下ろされました。
この洲浜をこのまま失くしてしまうのはあまりに惜しい、と
宗匠のお嬢さんが洲浜の植村義次さんに弟子入りされ
製法を学び、「これなら」とお墨付きをいただいて
お店の場所をそのまま受け継がれカフェを併設した『すはま屋』をはじめられたのは
ちょうど去年の今頃でした。
一子相伝 という言葉がありますが
京都の老舗や何百年と続いてきた仕事は
血が繋がっていなくても後継者として腕とやる気を見込んだ弟子に
後を託すという事が良くあるようです。
余談ですが、江戸の頃と比べると日本の職業の数というのは格段に減ってしまったそうです。
昔はあった商売・職業今はもうない、というのは確かにたくさんありますね、
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが
なんだか勿体ないような気がします。
たんきり飴本舗さんの情報は↓こちらをご参考になさってください。