今日、5月15日は京都の三大祭りの一つ、葵祭でした。
葵祭という名前で広く知れ渡っているこのお祭りですが
本来、賀茂祭というもので
上賀茂・下鴨 両神社の祭礼でした。
(ちなみに、我が家は上賀茂神社で結婚式を挙げていただきました)
賀茂祭の起源はとても古く、
上賀茂神社(正式名称は賀茂別雷神社・かもわけいかづちじんじゃ)の社伝によると、神武天皇の御代、賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ・賀茂神社の御祀神)がはるか北の神山(こうやま・上賀茂神社のご神体とされています)に降臨された時に行った祭りがその起源とされています。
時は流れ、欽明天皇の御代(567年・覚えやすいですね)、風水害に見舞われた日本は
稲は実らず、疫病が流行ります。
賀茂の神の祟り、と畏れた天皇は祟りを鎮めるために馬を走らせ駆け比べをすることを
勅命し、それが今の賀茂祭へとつながっていったものだそうです。
(今日、上賀茂神社ではこの内容をもっと詳しく日本語と英語でアナウンスしていました)
その後、今のような壮麗な儀式の形が成り立ったのは貞観年間(560年~576年)のことだそうです。
※上賀茂・下鴨ではカモの字が違います。
川の名前が、出町柳までは賀茂川、出町で高野川と合流してからは鴨川に代わるのですが、両神社の漢字表記もそれと同じく、上賀茂神社・下鴨神社となっています。
葵祭はその時期的にお天気が悪いことも時々あって、
途中で雨が降り出したりすると下鴨神社に到着したお列は
上賀茂までは行きません。
今日は朝からいいお天気で暑いくらいの中での行列になりました。
今年の斎王代さん
TVニュースで、「令和最初の斎王代として責任を感じ緊張します」と仰っていました。
お引き受けすると費用が3千万以上かかるそうで
毎年、名前を聞けばなるほどと思う、京都の名家のお嬢さんが勤められます。
御祖母さんもお母さんも斎王代を務めました、
祇園祭の御稚児さんも、御祖父さんもお父さんもお稚児さんをしました、
という、こういう歴史あるお祭りは歴史があり財力もある京都の町衆の力で
今日まで続いてきていることにため息が出そうになります。
下鴨神社を出発したお列は北大路通りに出ると新緑の美しい鴨川のほとりを北へと向かいます。
少し前には川の両岸を美しく彩った桜の花、それが見事な新緑となった賀茂街道、
平安装束をまとった人々が列になって過ぎていく姿は時代を超えてタイムスリップしてきたようです。
祭りの終点、上賀茂神社にお列が入るのは夕方の4時ごろ。
賀茂祭のお列で歩く人はみな、神社のお印である二葉葵を頭にかざしているのですが
朝、御所を出る時には青々とみずみずしかった二葉葵も
上賀茂神社に到着するころにはしなっとなってしまっています。
役目を終えたお馬さんたち
暑い中をお疲れさまでした。
そして、牛が引いていた牛車も
役目を終えるとこんな風に運ばれて行きます。
それにしても今日はいいお天気で本当に良かった。
歩かれた皆様は装束をまとってさぞ暑かったことでしょうけれど
事故もなく無事にお詣りが出来て今年も平安な一年になることでしょう。