お雑煮を、元日・二日、と食べて、夫が 「明日は白いご飯にして」というので三日から、食事は通常運転に戻しました。 で、たくさんのお餅の消費のために、小豆を炊いて善哉を作りました。 お手塩皿にあるのは京都 洛北・鷹峯玄琢(本阿弥光悦が土地を拝領し…
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